縁起
新編相模風土記によると、鎌倉末期の正中2年(1325年)6月12日、開山道蓮社大誉直原上人卒とある。
別の寺伝(出拠不詳)では、室町初期の応永24年(1417年)大森信濃守式部大輔頼顕この地に居城、城郭内に三寺を建立、城源寺と号し、等蓮社大誉上人を帰招して開山したという。
明治44年、放火により堂宇を焼失、大正12年の大地震にも被災した。その後の再建堂宇は文字通りの方丈であり、本堂建立は檀信徒の久しく抱く悲願であった。
マスコミ界にあった前住職(42世肇道和尚)は帰山後、本堂、庫裡、客院の新築に着工、1年9ヵ月の歳月を費やして平成5年春完工。同年6月12日の開山忌に落慶法要を行った。また、令和6年6月12日には現住職の導師により、開山上人700回忌法要を行った。
古地図では入谷津・本誓寺と境を接した広大な寺領を有したことが伺われるが、昭和初期には7町歩となり、戦後の農地改革で大半を開放した。
この寺が世に知られたのは、大正末期から昭和初期にかけて、寺領内に設けられた競馬場であろう。花岳(はなのおか)競馬場である。いま土地の人々がこの地を「競馬場」と称するのはこのためである。
また、活動写真と呼ばれた初期の映画を布教活動にとりいれ、住職(現住職の祖父39世、俊定和尚)自ら弁士を勤めた。伝道に視聴覚を取り入れたのは当時画期的な試みであった。
700回忌法要に先駆けて行われた映画上映会では、約100年前に行われていた無声映画の復元を試み1925年に制作された「少年美談 清き心」(城源寺39世の兄、古林貞二さんの原作・脚色)を上映した。翌年、この寺での上映会がきっかけとなり、第38回東京国際映画祭でも上映されることとなった。

墓苑
テーマは「生きる」です。
先祖から子孫へ。その接点にあなたが生きています。だから、この霊苑のテーマを「生きる」としました。
お墓にお参りすることは死者と語らうだけではありません。あなたが今に生きる、その生命の原点がここにあるからです。
お墓に詣でることは、自分を考え、自分を見つめることでもあるのです。そんな思いを託した詞を墓苑入口に掲げました。
「人がいる 家がある
人々の生きる証 ここに。」

