城源寺(小田原):寺,墓地/霊園,葬儀,戒名,檀家制度,様々な問題を、ジャーナリスト和尚が寺を文化情報発信基地として新しい仏教のあり方を提唱します。

城源寺の縁起

開山680年忌慶讃記念事業イベント広場

開山680年忌慶讃記念事業イベント広場

縁起

新編相模風土記によると、鎌倉末期の正中2年(1325年)6月12日、開山道蓮社大誉直原上人卒とある。

別の寺伝(出拠不詳)では、室町初期の応永24年(1417年)大森信濃守式部大輔頼顕この地に居城、城郭内に三寺を建立、城源寺と号し、等蓮社大誉上人を帰招して開山したという。

明治44年、放火により堂宇を焼失、大正12年の大地震にも被災した。
その後の再建堂宇は文字通りの方丈であり、本堂建立は檀信徒の久しく抱く悲願であった。

マスコミ界にあった住職は帰山後、本堂、庫裡、客院の新築に着工、1年9ヵ月の歳月を費やして平成5年春完工。同年6月12日の開山忌に落慶法要を行った。

古地図では入谷津・本誓寺と境を接した広大な寺領を有したことが伺われるが、昭和初期には7町歩となり、戦後の農地改革で大半を開放した。

この寺が世に知られたのは、大正末期から昭和初期にかけて、寺領内に設けられた競馬場であろう。花岳(はなのおか)競馬場である。いま土地の人々がこの地を「競馬場」と称するのはこのためである。

また、活動写真と呼ばれた初期の映画を布教活動にとりいれ、住職(現住職の父39世、俊定和尚)自ら弁士を勤めた。伝道に視聴覚を取り入れたのは当時画期的な試みであった。


北原白秋詩碑

北原白秋詩碑(花岳競馬場の碑)




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